CHINA備忘録⑤雲陽で活動開始。
刺繍室で作業に励む工員たち。
雲陽に到着して1週間。
やっと工場長が帰ってきました。
北京にいたならNAVIを連れて雲陽に戻ってくれればよかったのにね。
工場長はこんな人。
日本の会社と商談をするための上海のホテルにて。おめかししていますよ!
陳さんと申します。当時50歳すぎくらい。
元々はこの地方の地主の家系だったそうです。
青春時代は文化革命の真っただ中だったそうです。
地主という「出身が悪い」(ブルジョア)せいで、
このため、婚期を逸し30歳後半で
当時18歳の文盲の今の太太(タイタイ)と結婚したそうです。
中国人的な良い人であります。
面倒見が良く、自分の子供も3人いましたが、
親戚の子供や知り合いの子供を引き取って養子にしていて、
お子さんは6人くらいいました。
罰金を取られます。
雲陽の縫製工場は鄭州の商社を通して、シルク製品や作業服の生産をしています。
このたび、貿易の免許を取得したとのことで、
自力で海外に輸出をしたい、という希望(野望)がありました。
輸出を成功するために、利用しようとしたのが、
その一部門の青年海外協力隊から専門家を要請して、
そこにNAVIがやってきたというわけです。
工場長が帰宅して、
さっそくご対面となり、対談(?)が行われました。
工場長は紙面にてNAVIに8項目の「要求」をしてきました。
詳細は忘れてしまったのですが、
要するに
日本へ輸出したい!そのための備品を買うお金が欲しい。
そのためにNAVIが働け!
に尽きるのですが、この要求は根本的に間違っているのです。
協力隊っつうのは商業的には「技術移転」が主な目的で、
「その結果」現地の人がお金儲けをする、というのはOK。
隊員がその企業の社員と同じく、
直接カネ儲けのために働く…って、
出来ないのじゃなかったかなぁ。
先方としては、専門家=魔法使い、とでも思っているのか、
なんでも叶えてもらえるから(しかもタダで)
とりあえず高い要求をかました。というところでしょうか。
協力隊員でしかないNAVIにとって、
重荷を超えて脅迫されているように聞こえました。
その時点で協力隊の事務所に相談して
赴任先変更とか、してもらうことも可能だっだかしら。
着任先が協力隊の目的やら出来ることを
理解していないことはよくある話みたいです。
この工場もご多分にもれず、
ほとんど理解していなくて、「要求する!」「要求する!」を
繰り返すので、神経症になりました。
NAVIは教育分野の隊員ですので、セオリーとしては、
NAVI → 技術のカウンターパート → 現地の技術人
という流れで技術を伝えて、向上してもらうのが活動の中心です。
ここまで例の通訳さんの姚さんが登場するのですが、
通訳の能力が下の中なので、会談は混乱を極めました。
でも
この方は気の毒な人でした。
姚さんは日本に研修生として2年ばかり大阪近辺にいたそうです。
中国を発つ直前にご結婚され、
日本でお金を稼いで帰国しました。
そのお金を嫁にぶんどられ、
嫁は他の男のもとに走ったのだそうです。
ま
中国女ってこんなもんですわ。
彼のまずい通訳のおかげもあって、NAVIは工場長と対立してしまい、
険悪なムードで初回の対面は終わったのであります。
NAVIが困ったのは、
技術移転すべき相手が存在しない、という現実でした。
ど田舎で、町ゆく人々の雰囲気も悪く、
ひとりで外へ出ると危険だから、と外出も制限される地域で、
まわりに味方と思える人はいません。
雲陽生活は始まったばかり。
NAVIの奮闘が始まったのであります。
着任早々の頃、自宅の屋上から工場をバックに。
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CHINAかるた
「お」
「おみやげは、テレビに冷蔵庫。
日本人なら持って来い。
なんだお菓子か。がっかりだ」
現地の中国人は日本人はお土産に家電製品を持ってくると
期待していて、「ない」と知るとがっかり…を隠そうともしません。
日本帰りの中国人は上司に家電を配らなかったせいで
会社を辞めさせられたそうです。
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おまけ
6月10日、北朝鮮の金正恩さんがシンガポールへ出発しました。
そのルートを見てみると、雲陽のまあまあ近くを飛行して行ったみたいで、
なんか、そうか。 と思いました。