CHINA備忘録③雲陽へ。
1995年5月初旬、北京から飛行機で鄭州へ。
初めてのひとり中国、どきどき。
この地図の赤いところが雲陽です。青が北京、オレンジが上海。
黄色が鄭州です。
北京から約1000キロ、上海からも約1000キロ?
汽車で24時間かかります。(南陽まで)
河南省は鄭州が省都なので、飛行機はだいたい鄭州の空港を使います。
🛬 🛬 🛬 🛬 🛫
鄭州の空港に到着しました!
鄭州から雲陽までは車で7~8時間の距離です。
着任先の工場から迎えが来ていて、
埃の舞う中原の大地へいざ行かん( `ー´)ノ
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※ここで初めてのニイハオトイレとの遭遇。
形状はこのような横並び系でした。
気分が悪くなったらごめんなさい🙇
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これは雲陽の航空写真です。
数年前までは検索しても出なかったですが、
今回探したらあったので驚きました。
雲陽はNAVIが滞在したときは未開放地区でした。
当時、未開放地区も徐々に解放されて行っていましたが、
雲陽は解放される見込みはないと聞いていました。
なぜかというと、雲陽には兵器工場があるからだそうです。
工場で働いている人の家族が、兵器工場で銃を作っていると言っていました。
そのせいで航空写真はずっと公開しないものだと思っていたのですが。
現在は開放地区になっているのかはわかりません。
赤の二重丸がNAVIの住んでいた工場、川を越えて右側に南召の鉄道駅があります。
駅と言ってもローカルな普通しか停まらないので、実用的ではありませんでした。
硬座という、直角の硬い席で、いつもぎゅうぎゅう詰め…。
本数も少なく、切符を取るのも一苦労なので、
気軽なバスの方が実用的な移動手段になっていました。
鄭州からは途中まではどこまでも続くか、と思われる平原、
3時間ほど走ると、右に折れ山の方へ。
峠を2個ほど超えて、着いた雲陽は小さな街でした。
車で走れば街の入口からはずれまで5分とかからない感じで。
埃のひどくて、なんだか心がキュ~と縮まるような、
そんな街です。
工場の屋上からメインストリートを見る。
街の真ん中にある川です。けっこう風光明媚な場所です。
川を境に、駅側が新街、NAVIの住む側が古い街になるそうです。
ここは古い街の商店街です!なんでも揃い……ません!
古い街を通って、川を渡って新街へ散歩に出かけるNAVI。
次回は着任先の工場を紹介しますね。
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<CHINAかるた>
う
「『ウオ アイ ニィ(あなたを愛しているわ)』
うそよ お金が欲しいだけ」
CHINAに恋愛はないのです。損得だけでしか生きることが出来ない。
土台にメリットの有無があって、その上に恋愛もどきが乗っかります。
日本人男子はくれぐれも注意してくださいね。
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では。
本日もありがとうございました🍃