なびの洋裁教室ブログ

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CHINA備忘録⑬ 半年が過ぎ…。

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                                             桂林

 

 

 

 

着任して約半年が過ぎ…。

 

現地での生活にも慣れ始め、

工場の現状を把握して、

陳工場長の要望を検討し、

それに向けての行動を開始しなければなりません。

 

何のためにここまで来たのか?

 

 

 

隊員はあくまでも技術の移転を旨としていますので、

NAVIは直接ビジネスに携わることができない、

という事情は現地の方々に全く理解してもらえないのが困りました。

 

元からいらっしゃるデザイナーやパタンナーなど設計師と呼ばれる

技術者からは切り離され、

NAVIは工場の設計室ではなく、

NAVI専用の小さな事務所が作られました。

 

隊員には技術移転ができるカウンターパートが必須なのですが、

高級設計師と言われる方に教える、という発想は

なぜか工場長にはなかったようです。

若手の男性もいたのですが、こちらにはまわしてもらえませんでした。

現役の設計師たちは既存の仕事があるせいですが、

年もとっている高級設計師にはプライドもあったのでしょうか。

 

そこであてがわれたのが、毛さんという女性です。

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ハシビロコウに似た、どちらかというと

愚鈍なタイプの方で、

洋服作りの基本も知らない人でした。

 

 

それと、性格は良いのですが、ちょっと気が利かない

若い女のコが縫製要員として付いてくれました。

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                                    名前を忘れてしまいました…

 

 

 

あと、鄭星さんですね。

彼女がNAVIの考えや計画をまわりに伝える役目で、

プロジェクトのまとめ役、といったところでしょうか。

事実上のカウンターパートであるのですが、

管理の仕事をしていたので、

実技の技術移転はできない、という立場でありました。

 

 

 

語学的にも内容的にも

NAVIの話を理解できる相手は鄭星さんだけで、

他の方々は意思の疎通が難しい中(NAVIの語学能力以前の問題)、

鄭星さんにNAVIの計画を相談、検討した結果を工場長に話す、

という手順をとりました。

 

「日本に輸出したい」という希望を叶えるためには、

クリアしなければならない問題が山積みです。

 

 

 

当時の中国はNAVIの感覚で

総合的な能力を言うと、

上海は日本の10分の1、

雲陽は上海の10分の1。

つまり日本と雲陽は100倍の差があるのが現実。

現在の設備、技術、、材料、品質ではなにひとつ、

日本に受けいられる要素がありませんでした。

 

 

工場長以下工場の人間は日本に輸出する現実を知りません。

中国国内で日本に輸出している工場の設備、技術、その他

日本から求められる品質など。

棒高跳びを棒なしで飛ぼうとしているような現実を

どうやって理解してもらうのか?

というのが最初の課題でした。

 

 

そこで、他の服装隊員のつてをたどったり、

日本の会社から商社を紹介してもらったりして、

同じ中国国内の服装工場の実態を見学に行こう!

と言う計画を立てました。

NAVIがいくら口をすっぱくして言っても、

具体的に何がどう問題なのか?

「百聞は一見に如かず」作戦ですね。

 

 

と同時に、日本の繊維会社の知り合いに連絡をとって、

中国出張に合わせて、雲陽の紹介をさせてもらうことにしました。

この方はひと月に一度1週間くらい上海に出張に来ていました。

雲陽で生産可能な企画書などを作成してプレゼンテーションを

行う予定です。

この方の紹介で取引のある工場の見学もさせていただく

ことが出来ました。

 

材料が揃わない中、なんとかして

プレゼン用の企画提案書を準備しました。

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雲陽の工場で出来ること、

中国で用意できる生地などの材料、

などなど

日本の会社にわかりやすいように提案します。

 

 

 

 

時は10月。

鄭星さんと2人、

雲陽~上海~桂林~ː長沙~鄭州~雲陽

と言うルートの服装工場めぐりに出発しました。

期間は2週間です。

 

 

上海は日本に輸出している中国経営の服装工場、

桂林は隊員が赴任している中国国内向け中国経営の工場、

長沙は日本に輸出している日本と中国の合弁会社

 

 

 

どうでしたか?て?

一番印象的なことは、

初めて中国人と24時間2週間過ごして非常に疲れた。ということ。

訪れた場所場所で日本人と日本語でお話ができて嬉しかった。

 

特に、上海で仕事のお話を聞いてくれて、

のちにご協力いただくことになるKさん。

 

長沙の合弁会社の社長さんは面識がなかったにもかかわらず、

ご親切に工場内を案内していただいたりしていただき、感謝いたします。

(すき焼きをごちそうしていただきました。ちなみに生卵を食べれるのは

日本だけ、ということを初めて知りました)

 

桂林では先輩隊員が桂林の景勝巡りに連れて行ってくださいました。

桂林の有名なニョキニョキっとした山、と言うか、岩は

飛行機から見るとおもしろいですよ!

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そして、ふつうに田んぼなどの平地にニョキっていてびっくり。

普通は川で船をチャーターして巡ります。

鵜飼の人がいました。

夜は犬鍋屋さんに連れて行ってもらいましたが、

食べる勇気がなく、ウサギ鍋にしました。

四川料理屋さんで食べた、「麻婆豆腐」は辛くて、おいしくて、

今でも忘れられない記憶に残る味でした。

いろいろ珍道中だったのですが、細かなことは

また今度、旅編にでも書きますね。

 

 

 

工場の様子はNAVIにとってはそれほど驚くような発見は

なかったのですが、

鄭星さんにとっては

驚きの連続だったようです。

 

まさにそれが目的だったので、

とても有意義だったと思います。

 

1.中国国内向けの中国経営

2.日本向けの中国経営

3、日本向けの合弁会社

 

1から3になるほど、

工場の姿勢が違う、ということを目の当たりにできます。

雲陽の工場は2を目指さなければならない、

と理解すれば、

自ずと雲陽の工場に足らないものを理解できるというものです。

 

「日本人が来たから簡単に日本に輸出できる」

という幻想から目を覚ましてもらい、

本気でやるつもりなら、根性入れ直して精進してもらわねばなりません。

 

長沙からは鄭星さんと別れてひとり火車と呼ばれる汽車に乗って鄭州へ。

あまりに疲れてしまったので、

3日くらい休暇をいただきました。

何に疲れたかと言うと、

ひとりになりたかったのでしょうね…。

初めてひとりで火車の硬臥と言う、3段寝台に乗って

長沙から鄭州へ。

外国人は2段寝台のコンパートメントに乗ることがほとんどですが、

中国人のおっさんたちがうごめいている硬臥は…

トイレがひどい!

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本日はここまで。

 

 

 

 

では。

本日もありがとうございました🚋