服作りの道のり、私にとってパターンとは?ー①
着物はほぼ真っすぐのじか断ちのところ、
洋裁は基本的に人間の曲線に沿わせるので
じか裁ちで自由自在に作るのは難しいです。
それと、人間は動くので
「運動量」という要素も必要です。
パターンも突き詰めていくと、人間工学…的な考えに行きつきます。
自分を振り返ってみると…ですね…。
私は小学生の高学年から何やらの「服」というものを作っていました。
小学中学年(3~4年生)ではもっぱら人形の服を作っていました。
人形ではじか断ちの立体裁断(笑)で型紙の形を知りました。
自分のは、はじめて作ったのは定番のゴム入りスカートですね。
小学生まではすべて手縫いです、
(ミシンは怖いと母に言われていたため使えなかった…)
中学生になると、ミシンを買ってもらったので
はりきって創作人生まっしぐら――!!
よく覚えていないのですが、あの頃はどうやって
型紙を作っていたのでしょうね~??
何かお手本はあったのでしょうか?……なかったです。
市販のパターンを買ってもらいましたが、わけわかめで形に出来ませんでした。
今でも覚えていますが…、
台襟付きシャツカラーの前立て総明き、胸と腰にフラップポケットが付く
シャツワンピースでした、
パターンの原理を知らないので(人形のように立体裁断もどきも出来ず…)
お尻の入らないフレアースカートとかを作ってしまった覚えがあります。
じか断ちソーイングから市販パターンへの移行失敗を乗り越え、
やがて「装苑」に出会います。
こちらは今では「SO-EN」と名前を変え、作り方はほとんど無い
ファッション雑誌になってしまいましたが、当時は洋裁に関する記事が
たくさ~んあり、まさに私の教科書となったのでした!
こちらでは「文化式原型」というものを使用し、かこみ製図もあり、
縫製の仕方や生地のことなどなど、しろうと時代の私を育ててくれました。
これでわりあい、自由に好きなものが作れるようになりました。
高校を卒業して念願の専門学校に入学。
毎日が楽しくてたまらない日々でございました。
でも、専門学校で教える内容はほとんど身に着けてしまっていました。
学校の選択を間違ってしまったのかも知れません。
楽しいけど、刺激がなかったのです。
最初の就職はこども服メーカーでした。
東京と違い、生産拠点が近い名古屋です。
当時は流行の発信ではなく、量産や後追いのメーカーがほとんどです。
デザイナーやパタンナーに求められるのは
感性より、職人的な技術だったように思います。
どんなに素晴らしいデザインが描けても、それを形にする
技術がなければ本物のデザイナーとは言えない。というのが
私の信条でした。
なので、まずはパターンに専任の日々でございました。
パターンナーって職人気質の人が向いているんですよ。
縁の下の力持ちってな要素も多いです。
今はCADでいろいろできるようですが。
就職してからの人生はそれまでの洋裁人生が、いかに「お子ちゃま」だったのか
を、思い知らされる日々でした。
だからそれ以前どうやって服を作っていたのか、パターンを作っていたのか、の
記憶がないのかも知れません。 …つづく
★画像は高校時代から使っているルレットと目打ち。
当時のものはこれしか残っていない。