CHINA備忘録⑲ 雲陽の冬。
いつもは閑散としている通りも春節の1ヶ月くらい前から賑わってくる。
冬は品物が傷みにくいので品数も量も多いのがうれしい。
雲陽の一番寒い月は12月、1月です。
日本の1月2月、みたいな感覚ですね。
現地の人は夏の暑さに弱く、
冬の寒さに強いです。
日本の家屋は夏を主体にして作られていると聞きます。
中国は冬ですね。
なぜなら北に向かって窓を開ける、みたいなところがあります。
(もしくは何も考えていない)
窓も最小限です。
窓ガラスはサイズが合ってなくて、
風がビュービュー吹き込んできても、
紙も貼ろうとはせず、平気でいられるのが不思議。
NAVIの部屋もヒューヒューでしたので、
ビニールなどを貼り、2重窓に改造しました。
なので、冬場はお日様のめぐみも無く、
部屋の中は氷室のよう。
ただひたすらに寒いのであります。
それでも、2階なので多分1階よりは温かいと思います。
中国家屋は基本すべてたたきで、
1階は直接地面なので、きっとすごく寒いと思います。
一年目の冬は堪えました。
NAVIの認識が足らなかったのです。
気温は外も部屋の中もほとんど変わらず、零度前後。
暖房はワンポイントだけで、
部屋全体は決して温まることがありません。
結局、防寒対策は着れるだけ着込む。
それ以外にありません。
2度目の冬。
上海からお客さんが来ました。
上海の気温はだいたい東京と変わらない感じです。
暖房はそんなに普及していないので、寒いは寒いですが、
雲陽の方が寒いらしく、
「寒い、寒い」と耐えられない様子。
1年目のNAVIなら、
「そうでしょう?この寒さは異常ですよね!」と言っていたことでしょう。
しかし、
2年目のNAVIは違います。
室内でセーターJK、コートを着込んで震えているお客様。
(そんな薄着じゃ寒いよね~)と思いつつ、
「あ 寒いならもっと着込んだほうが良いですよ。
熱いお茶を飲んで体を温めてください」
てなもんで、
もう動じることはありません。
膝が曲げられないほど毛糸のズボンを何枚も着て、
着るのに20分もかけ、
全部スポン!と脱いだらガンダムのように立つ上物を着て、
寝るときもダウンのロングコートを着て、
ムートンのブーツを履いて寝ます。
それでも生まれて初めて、かかとにしもやけが出来ました。
しもやけって、痣みたいになるのですね!
ふとんに入るとかゆくてかゆくて。
最初はしもやけとはわからず、
あまりの痒さに、
中国には冬でもダニがいるのかい、と腹の立ったものでした。
中国の思い出は?と聞かれたら
一番に「冬が寒かった」
と答えます。
一日中(温かい)と思うことがない、それが雲陽の冬でした。
2月が近づくと、春節が近いので
あちこちから物売りがやってきます。
例えばネギ。
すごい量のネギを道端で売るのですが、
横の路上にビニールシートでテントを作って、
そこで寝泊りするようです。
NAVIなら凍え死にます。
やはりその土地で生まれ育った人は強い。
多分、ふろに入れると死にます。
お風呂と言えば、
冬場は輪にかけてお湯が出ない日が続きました。
工場長は24時間いつでも入浴OK、と豪語していましたが、
そんなことはもはや誰も覚えていません。
現地の人がお風呂に入る習慣がなければ、
NAVIもそれに準じます。
わがままを言ってはなりません。
とは言っても、そこは日本人です。
何ヶ月もお風呂なしでは生きていけません。
なので冬場は一日おきにやかんでお湯を沸かして、
洗面器風呂ですますことが多くなりました。
これを現地の人が知ったら腰を抜かして驚くんだろうな~。
それとも、お風呂に対する執着心に恐れをなすかも。
キリスト教徒は(中世の時代)不潔なのが聖人のあかし、として
お風呂に入らなかったらしいですが、この点では
中国人と気が合いそうです。
夏は水浴びでもOKですが、
冬はそうもいきません。
冬の毎日の最大関心事は「今日はお湯があるか?」
であったと言っても過言ではありません。
それでもたまにお湯の出る日がありました。
そんな日は、湯船に熱いお湯をはって、
入れるギリギリの熱さで入ります。
少しでもぬるいと、出た後に身体が凍ってしまいます(おおげさか~)
身体が冷えてしまうとおいそれと回復しないので、
風邪に直結します。
任地で病気になる、ということは「死」に直結するので、
可能な限り避けなければなりません。
ある日のこと。
あまりに熱いお湯に入ってしまったため、
湯あたりてしまい、のぼせて気分が悪くなり、
真っ裸で倒れてしまいました。
大丈夫。
死にませんでした。
雲陽の冬 = 寒い
これしか言う事がなくてすみません。
雪は少ないです。
記憶に残る積雪は1度ありました。
本日は用意してないですが、
今度またUPしますね。
なかなかきれいでした。
では。
本日もありがとうございました⛺