なびの洋裁教室ブログ

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CHINA備忘録。北京にて②

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                     北京の路上の床屋さん。

                    他にも按摩とかあります。

 

 

こんにちは!

 

 

北京の生活編です。

 

北京は最初の1ヶ月、

半年に1度、7月と12月にCHINA各地から隊員たちが集合します。

人によっては同じ町で活動している隊員どうしもいますが、

大抵は1人で頑張っているので、半年に1度の上京はうれしいものでした。

 

特にNAVIにとっては現地で調達できない物資を買い込むことが

楽しみでありました。

当時のCHINAは日本のもの、と言うより

西洋の物資が少なくて、西洋的なもの欠乏症になりました。

 

北京では西洋物資を売っているスーパーがNAVIの知るところ

1軒あって、そこにはパンやソーセージやハーシーのチョコなどが

売っていました。

 

北京にはパンはヴィドフランスが1件、マックが1件、あと

ピザハットとケンタッキー、ハードロックカフェがありました。

西洋的文化は本当に少ないです。

CHINAでは日本人はいかに西洋の文化に侵されているのか、を実感しました。

 

普通のスーパーでパンと牛乳、コーヒーが手に入らないなんて。

北京がこれですから、田舎は言わずもがな、です。

 

北京では一通り観光もしました。

 

まずは長城ですね。

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長城は何か所か観光で行ける場所がありますが、

ここは1番有名な八達嶺です。

中央の奥のてっぺんまで階段で登ります。

すごく急です。

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登ってます~。

CHINA滞在中に長城には3回行きました。

(ホントは1回で十分です)

長城の他の場所にも行きました。

他の場所は石がくずれていたりして、草が生え

無常が感じられ、風情があってよかったです。

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    こんな感じです。

 

 

 

 

そして故宮ですね。禁紫城とも言います。

トイレが度肝を抜く汚さで、外国人観光客のメッカなのに驚きました。

 

こちらは正門ではなく、後門から見た故宮です。

故宮は広いです。

手入れが良くなくて、草がぼーぼーだったり、

室内も埃だらけで保存が良くない印象でした。

有名な珍妃の井戸は思ったより小さくて、

ここに身を投げたの?  と。

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故宮の後門のすぐのところに景山公園という、

小高い山の公園があります。

明の最後の皇帝が首を吊って絶命されたところですね。

故宮の全体が見渡せて、

夕陽にオレンジ色の屋根が映えて、なかなか良かったです。

 

ここには何度も訪れましたっけ。

 

 

天安門広場も行きましたよ。

 

まーー 広いです。

 

天安門事件から6年目の時ですね。

 

写真もありますが、どうってことのない画像なのでまた今度、ね。

 

 

 

ここは建国門という、場所です。

北京では洗練されている場所です。

道路は環状線ですね。まだ車が少ないです。

花木が植えられている両脇が自転車道だったと思います。

北京の自転車道は広くて、さすがCHINA!と思ったものです。

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CHINAの人々は信号を守りません。

信号を渡る時のルールも日本と違って、交差点で

曲がってくる車は人が渡っていても止まりません。

信号が青でも渡るのは命がけ…?

こういった広い道路では、人々は車道を1車線づつ渡って行きます。

これが出来るようになったら、CHINA生活も一人前、と言ったところです。

 

 

 

 

 

日本大使館の警備員さんと。

大使館は古い建物でした。

この界隈は大使館が多く、ちょっとしたカフェや

市場があって、比較的気持ちの良い場所です。

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近くに川があって、

川の水を利用して、大使館の車を洗う商売をしていました。

川の水で車を洗うなんて! 目からウロコですね。

 

 

 

 

 

北京ー天津へ日帰りで行ってきました。

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ニコニコうきうきですが、行きはよいよい~  

帰りがまぁ大変だったこと!

CHINAを移動する大変さの洗礼を受けたのであります。

行きは旅行会社で軟座という特急列車のチケットを取ったので、

問題なく2時間で天津に到着。

すぐに帰りのチケットを買おうとしたら、

どこも買えなくて…。

帰りの列車チケットを求めてさまよい、

いよいよ帰れないのか?と真っ青になっていたら、

バスという手があると教えてくれる人がいて、

無事その日のうちにバスで北京に戻ったのであります。

ただ行って、帰っただけの天津でした。

なので、天津のことは何も記憶がありません。

天津飯を探すことはかないませんでした。

 

まだ北京の1ヶ月はお客様状態の、

観光気分の抜けない時期でありました。

 

食事は外食のみでしたが、中華はすぐに飽きてしまいます。

日本料理屋さんもありますが、高いです。

 

よく言ったのが朝鮮料理屋です。

JICAの事務所の近辺には朝鮮料理屋が集まっているところがありました。

でも

表は料理屋で奥には若い女性が出入りしていて、

あやしさ満点です。

悲しそうな顔した北朝鮮と思われる若い女性が働いていました。

 

 

庶民的な食堂で食べた北京ダックもおいしかったです。

2人で丸焼きの四分の一、といった注文が出来るので、

夜の10時頃に小腹がすいたね、と言う感じで気軽に食べたものです。

皮しか食べない高級北京ダックより、

こっちの方が好きかな。

 

ビールは基本的に冷えていなくて、

頼まないと冷えたのが出てきません。

CHINAはご当地ビールの種類が多くて、

青島ビールだけではないのです。

北京では燕京ビールというのがありましたっけ。

燕というのは北京の昔の言い方です。

日本で言うと東京=江戸みたいなものでしょうか。

 

 

 

 

 

CHINAは予想していた素朴な国ではなく、

純粋培養日本人には暮らし難い

戦いの日々の始まりでもありました。

 

 

基本はこのような道端の包子売りから肉まんを買ったり、

煎餅を買ったり。

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煎餅(チェンビン)中華風クレープ(?)

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感覚的にはまだ10%くらいしか現地人様式ではないのでした。

 

 

CHINAにGWというものは当然なく、(今はあるようですが)

5月の初めになると、ひとり、またひとり、と

任地に旅立って行きました。

 

NAVIは一番最後に北京から鄭州に向けて飛行機で旅立ちました。

初めてのひとり飛行機ですね。

まだ中国語もおぼつかず、不安いっぱいです。

案の定、搭乗案内が聞き取れず、

あわや乗り遅れるところでしたよ。

 

北京に別れを告げて、いざ河南省南召県雲陽へ。

NAVIの2年間のCHINA生活本当の始まりです。

 

 

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CHINAかるた

 

「イーアールサン!

   写真を撮るよ、イーアールサン」

 

日本では「はいチーズ!」

CHINAでは1.2.3のイーアールサン、です。

ちなみに、写真を撮ろうとしている前を平気で横切るので

なかなか写真が撮れません。

 

もひとつ浮かびました!

 

「衣食住

   足りても足りなくても  礼節知らず」

 

日本人は衣食住足りていなくても、礼節を守る人種です。

CHINAでは「礼節、何それおいしいの?」

礼儀正しくしている時は、面子センサーが発動しているにすぎません。

 

 

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では。

本日もありがとうございました🚙