CHINA備忘録。初めに。
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本日はいつもと少し違います。
CHINA忘備録、時々upしていきたいと思います。
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1996年12月北京にて、焼き芋を買うNAVI
中国の焼き芋はあんまりおいしくない。甘くないから。
ニイハオ!
我的名字是NAVI.
我以前稿服装設計師.
現在在所沢教作服装.
大家高高興興作衣服把!
あー
久しぶりに中国語を使ってみました。
間違っているかも。
もうすっかり、と言っていいくらい忘れてしまいました。
中国語のソフトを入れていないので
日本語で使える漢字しか使えないしね。
何を書いたかと言うと、
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私の名前はNAVIです。
以前服のデザイナーをしていました。
現在所沢で服作りを教えています。
みんなで楽しく服作りをしましょう!
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こんな簡単な文でも自信がないって、
ホントに忘れているんですね!
もう中国を訪れることもないでしょうから、
忘れてもいいんです。
台湾には行くことがあるかも知れないけど、
旅行会話ならなんとかなるでしょう。
NAVIはかつて
1995年4月3日から1997年4月3日まで、
中国河南省南召県雲陽鎮の雲陽抽紗廠(うろ覚え)と言う、
服装工場で技術指導をしていました。
派遣されたのはJICAの青年海外協力隊に参加して、
派遣地が中国だった、ということです。
任地は北京から南に約1000キロ、
上海からも西へ約1000キロ、
中原と呼ばれる中国の中の中国とも言える地でした。
河南省は漢族が99%の、人口が約1億で内陸にあります。
任地は鄭州から南へバスで約7時間。
洛陽という昔の都へもバスで6時間くらいです。
住まいから徒歩30分のところに南召という
鉄道の駅があり、鈍行が停まります。
通常の交通は遠距離バス移動で、
鄭州へは1日に2本のバスがありました。
最寄りの街は南陽市で、バスで約2時間です。
南召県は人口が約3万人の小さな県で、
県と言っても日本で言うと郡と同等の感じです。
雲陽は県の政府(役所)がある南召からバスで約30分で、
外国人が訪れるには許可が必要な
未開放地区でもあります。
(3万人の人口と言うと、日本では市ができますが、
感覚で言うとその十分の一の規模くらいでしょうか)
住んでいたのはもう22年前になりますが、
きっと変わっていないと思います。
未開放地区というのはそういうところなのです。
外国人はまず訪れないので、
日本人が住んでいることは大層めずらしいことです。
見た目の肌の色に違いはないですが、
現地人はNAVIの服装やたたずまいに異質なものを感じるらしく、
でもまさか外国人が住んでいる、と思われなくて、
大抵は香港人とかの南方人か?と言われていました。
記憶もどんどん遠くなり、忘れてしまっていることが多いですが、
反対に、昨日のことのように鮮明に記憶していることもあります。
おもしろいことも多かったので、
忘備録として中国の生活を書いておこうと思います。
現地では驚くことが多かったですが、
NAVIのとらえかたの基本は
・もし理解不能に思っても、もしNAVIが現地で生まれ育った
現地人であったらどうなのか?
と言う公平な目で見ようと思っていました。
ま
そうは言っても、しょっちゅう腹をたてていましたが… 。
日々のソーイングのお話の合間に
時折CHINA時代の思い出を
書いて行きたいと思います。
普段とはちょっと趣きが違ってくるかも、ですが
DeepなCHINAを知るチャンスです。
NAVIの見た中国、中国人観察。
上っ面だけではない真の中国と中国人(漢人)をお届けします。
では。
本日もありがとうございました🏠